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文化/思想に見る桜 Part2

●桜を愛した文人・思想家

 
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ〔山家集・77・西行法師〕
※意訳
もし叶うなら、二月〈旧暦〉の満月の日に桜の花の下で死にたいものだ。
 誰もが耳にしたことがあるだろうこの歌の作者・西行法師は、桜好きの歌人、それも「落花の美学」のもち主として人後に落ちない。
あくがるる 心はさても やまざくら 散りなむのちや 身にかへるべき〔山家集・67・西行法師〕
※意訳
山桜*注5の花への憧れはどうしたことだろう。散ったあとで心は我が身に戻って来るのだろうか。
ソメイヨシノ 桜好きが高じて、西行は桜の名所の吉野に庵(いおり)を構えて移住したと伝えられる。
 吉田兼好は『徒然草』の中で
吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。
※意訳
吉野桜にしても、御所(ごしょ)の桜にしても、花びらは一重です。八重桜はおかしいのです。
と八重桜を忌み、一重の桜を偏愛する。
 「もののあはれ」〈人間の抑えがたい情動、感動の現れ〉を提唱した国学者の本居宣長は山桜をことの外愛し、自画像
敷島(しきしま)の やまと心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花
※意訳
大和魂とはどういうものだろうかと人に訊ねられたら、朝日に照らされて映える山桜のようなすがすがしい美意識だと私は答える。
という歌を添えた。宣長には桜のみを題材にした歌集『枕の山』もある。
 新渡戸稲造は『武士道』の中で、上の宣長の歌を引きながら、桜と大和魂を重ね「日本風土に固有のもの」として欧州の薔薇と対比させた。

●武士道の中の桜

武人の桜観
詩歌を吟じることが武士のたしなみになってからは、自然の移り変わりに我が身をなぞらえて表現することも王朝歌人の専売ではなくなった。
そして、そこには「もののふ」ならではの死生観が織り込まれる。
誘ふとて なにか恨みん 時きては 嵐の外に 花もこそ散れ〔大内義長〕
※意訳
人に誘われて死に追いやられたとしても、なにを恨むことがあるだろうか。その時が来れば、花は嵐が吹かなくても散っていくものだ。

限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山かぜ〔蒲生氏郷〕
※意訳
花の命には限りがあるのだから、風が吹かなくてもいずれ散るというのに、春の山風は気短に吹きつけてくる。

三芳野の 花は数には あらね共 散るにはもれぬ 山桜かな〔三好康俊〕
※意訳
三好の武士の中で数の内には入らない自分も、吉野の山桜のように例外なく散るようだ。

桜田の 花とかばねは さらすとも なにたゆむべき 大和魂〔佐野竹之助 水戸藩士・桜田門外の変没〕
※意訳
〈桜田は花の縁語〉例え、桜田門外に屍(しかばね)をさらすことになったとしても、どうしてこの大和魂を抑えられようか。

いたづらに 散る桜とや 言ひなまし 花の心を 人は知らずて〔森五六郎 水戸藩士・桜田門外の変のち斬首〕
※意訳
意味もなく散り急ぐ桜と人は言うだろう、散っていく花の本心を知ろうともしないで。

散るもよし 芳野の山の 山桜 花にたぐひし ものゝふの身は〔山田亦介〕
※意訳
侍の命を花に喩(たと)えて、散る時は吉野の山桜のようにありたいものだ。
 花の盛りが短く、枯れる前に枝から離れる桜の特性を、昔の日本人が「潔い」と称したことに不思議はない。
それが武士道における生に執着しないという観念とあいまって、「桜が散るように死ぬ」と喩えられるようになったのだろう。
上に挙げた歌がみな辞世(じせい)の句であることも注目に値する。
*注5 山桜
当時の桜の品種は主に山桜であり、これは花びらが小さく、花と葉がいっぺんに出る。ソメイヨシノが誕生したのは江戸末期と言われる。

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